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清原「500号」達成ボールの価値?の前に
オリさせてよ「記録達成ボールっておいくら論議」
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東京オリンピックの前、近所に突然東京スタジアムが出現した。小学4年だったボクにとって格好の遊び場となった。
公式戦は塀を乗り越え”タダ見(当時の用語)”を決め込み、また「全席が50円」で入れるイースタンリーグには開催ゲームすべて通った。ほぼ無人のスタンドを駈け回り嬉々としてボール拾いをして、選手とも次第に顔なじみとなって行く。
ある日、無名のオリオンズ二軍選手(倉高内野手)がある日『ボウヤ、これ持って行かんか?』と,ヒビの入ったバットをくれたのだ。
一週間は足は宙を泳いでいた。この日を境にボクのゲーマー蒐集人生が始まったわけである…。 前野重雄
イチロー94年MVP獲得時実使用ヘルメット
あの彗星のごとく出現した94年シーズン。日本球界の新たな幕開けとなった。
その”星”は、それまでの球界を上から規定していたすべてのワクを破壊し尽くして宇宙にデヴューしたのであった。
多くの”球聖”からOB評論家、マスコミはこの19歳の男を理解するための[消化酵素]を持っていなかったため最後まで理解されなかった。
結局彼は、2001年に『イチロー・スズキ』と名を変えてメジャーという”セブンスターの箱”の横に立って初めて、日本人は彼という人物の大きさが測り知れたようである。
この品はMVP獲得後、阪神大震災被災者へのチャリティとして浄財をもたらした。
イチローメジャー入り、初バット。
2001年アリゾナキャンプ入り前日・当日と2日間使用したバット。これから一ヶ月の間、日本で発せられるイチローのメジャーでの活躍予想で『3割』をいう目、と勇気ある声は最後まで聴けなかった。云ったとしても『あのキャシャな身体ではメジャーの移動に身体がギブアップする』という”逃げ”が必ず入った。
彼が日本の野球を捨てていった理由の一つがここにある…ということを未だに解っていないようだ。素材は青ダモからアッシュへと変わり、日本では[木目が見えなくてはならない]という規則でダメだった、真の漆黒にペイントができるようになリ、入念な塗装によって、”硬め”な打球感をもたらしている。
上のバット、芯付近のアップ。
自分が連載していて今は『ドロボウ企画』が勝手に引き継いでいる(笑)、週刊[ベースボール]の《球界逸品館》の最終回(3月末売り)を飾るため、イチローがこの一本を託してくれた。
ボクはこれを[歴史的一本]として残すべきと考え、図々しくも《サインと日付を打芯部分に書き込んで》と頼んだ。
[’01、2,20]この日が本当に”歴史的”となるかどうか、ボクたちのカケが始まった。
後日、このバットは[公開してくださる]ことを条件に、チャリティオークションにかけるはずだ。
92年新入団の[鈴木一朗]用ユニフォーム。
 ボクの宝物にしようと思っていたが、ここまで存在が大きくなってきてしまった今日、責任を持ってなるべく多くの人々の目に触れるようにしていかねばならないと考えるようになった。
イチさんはこのSUZUKI名のユニフォームを一定数受け取り、イチロー改名に際し、
何枚かをネームを付け替え、何枚かが(球団に返納後)裁断処分となった。
ホーム用はイチロー記念館、彼の同級生、と数は超稀少である。
春のキャンプ合流時、彼の評価は《2Aの期待株》ていど…であった。これは何かに刻んでおきたい。それが以下の順にランクアップしていった…いや、イチローがこじ開けていった《同僚外野手陣・オルルッド・マルティネス・日本マスコミ左派(笑)・シアトル地元マスコミ・打撃コーチ・シアトル人民・ブーン内野手・ピネラ監督・米大手カード会社・大阪人新庄派・日本マスコミ右派・アリーグ他球団・審判大多数・ナリーグ各球団・アメリカ他地区マスコミ・米スポーツもの業者・他球場ファン・アメリカ人…》といったグアイである(笑)。我ながら良く取材している結果で、イチロー君にも同意してもらえる順序だと思う。おそらくこのジャージが米オークションに出品されたら「500万円以上」の浄財になるだろう。
左:アレックス・ロドリゲス。右:イチロー99春メジャーキャンプ参加用特注
*フットワークでも評価の高い二人は期せずして「カカト内にAIRバッグを入れて衝撃を緩和する」などという、”呪文”を排した薄型ソールを注文してメーカーもこのアドヴァイズを尊重している。ヒザや腰の故障はもっと別の原因で、野球の1ゲーム分でカカトで衝撃を受ける局面がいくらあるか…という問いに見事答えた選択である。バスケ用で産まれたAIRを無理やり野球に…というメーカーの営業優先が生んだ壮大なる遠回りといっていい。日本の各メーカーは賢明だったとボクは高く評価する。

99年マリナーズキャンプ
ロッカー要員はこうして涼しい日陰で乾燥させた後、泥を落としトリートメントを施す。左端にイチローの初キャンプ時スパイク(左枠下段)と、その右隣にA−RODのスパイクが、そしてその真向かいにグリフィーのツヤある一足が…。緑一色ののどかなアリゾナ。彼が帰りたくない…というワケである。
99年3月6日ピオリア球場。対パドレス。
イチローが初のオープン戦に出場した時の未使用券。
彼の家族と親友のために買っておいたもの。
喜んで最高級のサインをしたためてくれた。
《わらしべ長者》方式の典型である(笑)。
メジャーでの実使用品でこのサインの無い品は
”イチローの未承認”として贋造・または
盗品・横領品として区別されることになった。

贋造対策のためモザイクあり

フロア フロア主な陳列物 クリックでワープ
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