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  Gallery "見・物 渋滞"

annex3

CAMELーLotus当時、セナと中嶋のサイン

ボクは電波上で出していただく場合は、制作側がボクを勝手に味付けしてくれる…それに逆らわないし、それ以上の別の顔は出さないし、出すべきでもない。
人さまが必要…としてくれてこちらが提供できるものがあれば出せばいい。ボクからどのような側面を加工して切り通し…とするかは制作者のセンスなんだろう。”力量”ではないとは思う。
本当にやりたいことは自分でやる。そしてまたおカネにはならないものである。
この頃のキャメルロータスHONDAは、マシンの戦闘力においては#1を狙えるものではなかった。
この品はそんなチームでめぐり合った、”トロい”フィッティパルディのようなブラジル人のイメージとは程遠い、愛想は悪いがメチャメチャ速いアイルトン・セナと、東洋の日本からやって来た中嶋悟…という若い二人のドライバーの対面であった。      チームカラーのイエローが鮮やかなピット備え付けのボード(当然”5秒リード中”を示す+5)だ。ロータスの総帥として君臨した社長の故コーリン・チャップマン氏のコレクションからの品。
モー・バーグの切った小切手本来”スパイ”と云うものはこうした証拠を残してはいけないのではないか?ユダヤ人移民の子として生まれハーバード(はじめコロンビア)大、等でも主席級を張るほどの頭脳を持ち、おまけにRソックスの捕手。日米野球での渡日をひかえ戦前の迫害を続ける”民族の敵”ナチスドイツと、急接近する日本軍国主義に対し、自ら志願してスパイとして”全米メンバー”に入り各地をルーやベイブそれに沢村少年らと親善野球しながら、懐に隠したムービーカメラで軍港などを収めたり帝都東京360度を撮影し、後の東京空襲の資料にも供した。
左写真右下が本名:モーリス・バーグ。
      ちょっと意外だったのは日本も何か深謀遠慮ぶくみだったのか昭和9年のこのツアーには大歓迎で、宴会で芸者あげたりミズノが着物プレゼントしたりするなどの友好リラックスムード…にも関わらず、一行が青函連絡船に乗った際には憲兵が同行し、あのルースに身体捜検を強制するなどの”戦時待遇”まであったそうだ。上右写真は本人パスポートから
それにしても、当たり前のことかも知れないが他のルースなど一行の中ではモーの密命を知る者はいなかった。すべて独自の判断で計画し、臨機応変、行動(仮病を使い試合を休み市内を撮影していたり、病院にもぐりこんだり…)をしたと言う。驚かされるのはハワイ経由のわずか2週間の往路で、彼は日本語の日常会話を船上でマスターしており、横浜港に詰め掛けた日本報道陣に代表コメントまで流暢に話した!!という。
拙書『球界遺産』にも詳録あり

これは'53年来日組。後楽園球場がむちゃハイテクだった時代だ!


結構イケるクチ?が揃うUSAオールスター軍、いいなあ、きっとサムラのマネだとかするとウケるんだろうなあ(笑)。 招聘元の読売新聞社前を通過中の米代表、当時なのに『一億円懸賞』などとあり、今更ながら同社の体質には感心させられる。 さて、これは誰なのか、日本代表を前に模範投球を披露するメジャー代表。
右は当時『最新式後楽園球場』!戦後日本の復興シンボル的要素があった。
NYジャイアンツvs中日ドラゴンズ'53年来名記念 のバックル。こちらは地味な来日だったなぁ。
97季のアリーグBEST(的)ナイン。直筆サイン入り…が価値を自己差別化する
同季ナリーグ版。こんな丁寧なマダックスのサイン(左下)は見たことがない。中下はボンズではないか!
    

78季N-Leagueチャンプ、ドジャースのスティーブ・ガービーのウィナーズリング。トップはド軍テーマカラーの青サファイア。そしてダイヤ


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