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ボクが中学2年の頃、イタリアの高速サーキット、モンツァでホンダF-1が勝利を収めた(通算2勝目)時の記念ステッカー。自分でもけっこうコレクターしていたんだなあと思う宝物。
ちなみに第1勝目(=メキシコGP)ではこうした物は作られなかった。
だって、当時はステッカーなんて珍しかったんだもの。
長径17a。ドライバー=ジョン・サーティース |
どこか悪どそうなライダーがいい(笑) |
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あの世界的ヘルメットメーカー『arai』40年前のステッカー。
ヒロタケ・新井商店が正式名称で、たしか中の時に川口(だったか浦和)にまで出掛けて「平屋のガラス戸(6枚くらいの間口)」をガラガラと(ホントに大きな音がした)開けて、このステッカーをgetしに行ったのを想い出す。最近、ここの社員にこれを見せたらガク然としていた。
『こんなの会社に一枚も残ってないですよ〜』
シメシメ、これで価値があることが判った。
長径19センチ |
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(時計回り12時から)*モチュールとヨシムラ(2輪)レーシングティーム・一瞬の蜜月時代だった。長辺10a*ブリジストン・スリックタイヤが未だドラッグスターのみ…の最先端タイヤパターン付き。*ジタン、モチュールとノバレーシングティーム・日欧ともF2の全盛期だった頃だ。*シェル石油・サーティースの乗るホンダF1のスポンサーでもあったため、先のイタリアGP優勝に引っ掛けてのご祝儀ステッカーなのである。ちなみにこの時にSUPERSHELLガソリンが新発売。この一枚の兄弟版にはフェラーリP4(GT)が描かれていた。 |
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『netオークションで売られていたお馬鹿な品』でボクのお気に入りがこの「玉袋ポーチ」(笑)。
どこかの馬鹿が絶対に作るのではないか…と心配していたことが現実になって笑った笑った。
撮影ライティングもいいし、色のトーンもシックで洒脱である。
この製作者の美的センスはただものじゃない。
タテで30a近いそうだから、ファッションとのコーディネートがむずかしい。
ちょっと”毛”がイヤだけどなあ(笑) |
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すいません、コレはボクの仕事場であります。
天井からぶる下がっているのはほとんどが有名選手らのジャージ。それと関係書類。
周囲の雑然たる紙類は、もう少し頭の良い人なら何分の1にも整理できるだろう。
撮影=月刊Gogle編集長中尾祥司氏 |
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例の高田馬場ホーム救助事故死事件の直後('01年)に千代田線西日暮里駅でもこうした美談があった。
あの時に犠牲になってくれた韓国人留学生も、この同じホームを利用していたのをこの駅の利用客は、”万が一には自分も…”と胸に秘めていたのではないかと思うのだ。
こうして日韓の人間同士に薄日がさそうというのに、ああした教科書で『ゴリを押し通さなくちゃイヤ』と言う、(西尾ばか幹二とか、バカやしよしのり等)無遠慮な連中が出現する…。
やるせない想いだ。《他》で勝負するものがない連中であることの証明なのだろう。 |
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石坂さんの伊東マンション(伊東満所ではない)。石坂さんはこうして厨房に入りっきりとなって、材料(1級品)買い出しから・前菜・酢の物・強肴・吸い物・メインからデザートまでご自分で作り我々、客をもてなす…ので、コレじゃ一方的に疲れさせてしまい、申し訳ないのだ。
左が大橋巨泉事務所の哲夫社長。あまりにお兄さんにソックリなので笑ってしまう。初対面の酒席でボクは『あの田嶋陽子っていうのが大嫌いなんです』と言ったら『あれはウチの事務所所属なの』と切り返され、それ以来頭が上がらない。
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エクトプラズムを履くニシキヘビ。
よくこうした大型ヘビを座敷で可愛がっているヒトがいるが、そうした家庭で、赤ちゃんなんかを置いて一瞬たりとも目を離せないだろうなあ。
コンビニから帰ってきたら、茶の間にヘビが居て、で、赤ちゃんが居ない。良く見たらお腹がデカくなっていた…さあどうしよう。
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ジャングルのシンボルっていうか、お約束みたいにいるクチバシのデカいあの鳥。『可哀そうだな、飛びにくいだろうなあ…』といつも気になっていたある日、この骨格写真と対面し大笑いした。
バカだなあ〜(笑)
それでまた勝手にこいつについて考えた。
ボクはこの鳥の死因で一番多いのはおそらく”肩こり”なのではないか…と、また新しい疑問の彼方へと旅立って行くのだった。 |