シシャモが最近はうるさい。いや、”うるさいシシャモ”がいる。
『こいつの味覚えちゃったら他の(シシャモ)なんか喰えねえよな』
仲買いでも「一匹80〜百円」につく本当の北海道産の柳葉魚(シシャモ)、魚屋に並んでも「150円」だろう。しっかしサムシィングエルスである。今までオレらが喰ってきた人シシャモはナンだったんだ……エ!?
なのである。
これが道産子シシャモ ああ、これぞゴージャスの、マル特マーク四つ!! |
そう、アレはベーリング海や北欧ノルウェー沖でゴッソリ収穫できる品種であり、別に偉くもナントもなく、ヘタするとあちらの方では野菜の肥料にするために粉々にされて骨粉化されていた…なさけない魚だったのである。
それがその高い方は昨年始め頃から、市場・漁業関係者の間だけで終わってしまう程度の流通量。
その箱入りシャシモはまさに「レアーもの道産子」なのだ。
ボクも今から40年近く前、小学生時代に行った日高の牧場で食したあの味がつい最近戻ってきた……ああ、こんなに美味しかったのか。
あまりに美味いため、乱獲がシシャモを根絶やしにしたがようやく、苫小牧から釧路までの太平洋沿岸で、何十年ぶりかでシシャモ漁が商業的にペイできる(?)センにまで回復したばかりなのである。
この道産子は価格的には北欧ものの(一匹あたり)3〜4倍の高嶺の花だが、北海道の魚好きの間で昨今、もっともHOTな話題はこの道産子シシャモであって、日高沿岸ではこれを寿司ダネにしたり、カレイのように一夜干しにしてあぶり焼き、人気となっているのである。
はっきり云って、知られていないのは未だ微妙な漁獲高にすぎず、関係者にとっては広く今の段階でPRするよりも、取りあえず自分らの喰う量あやうい内は、広く知らせるのは適切ではないからだ。
焼き網に乗せればじりじりと、半透明の上品な皮膚から、汗を掻くようにゆっくりと透明の脂が、珠のように出てくる。この脂じたいが美味い。それが証拠に煙たさに刺激臭がない。指でなめればイワシというよりカマスの脂の旨みに近い。
が、カマスの身がかじると意外に素っ気ないのに対し、このシシャモはイワシのような暴力的な強い味でなく、みっしりした繊細で重ね合わせるような旨さの波状攻撃が、呑み下すまで続くのである。
動物界の摂理にきいてみたら面白かった。
ウチの馬鹿ネコは哀しいかな現代っコで、魚など煮ても焼いてもソッポを向いて生きてきた。人間の食卓になど目もくれず結局は90円クラスのネコ缶詰が与えられていれば喰っている、そんなつまらんヤツであった。
ところが道産子シシャモのデヴュー、女房がガス台で焼き始めるとあ〜ら不思議、いつになく調理台にまで飛び乗って、盗もうとすでに興奮状態なのである。
家族一同、こいつが食欲を積極的に露わにしたのを初めて見るので、一体何がどうしたのか事態をしばらく呑み込めなかったほどであった。
究極の日高産シシャモ および、その後も犯行を繰り返すMM(仮名)「シシャモ窃盗未遂の被疑ネコ」。 |
トンでもないことである。このシシャモに限ってはペットもパートナーもないものだ、貴重な資源をこんな恩知らずに食わせてなるものか。
臨終する時のエサやりを除き、この道産子シシャモを人間以外に与えるのを禁止する条例を制定してはどうか。これをいっそ《逆・綱吉》法、とでも呼びたいものである。
この際、アワビ・ウニを食っちゃ寝しているラッコなどもバンバン保護(?)してしまい、ワカメとかせめて安物の冷凍イカだとか、質素な食生活をお願いしてみてはどうか。
いずれにせよこの千住の市場、前頁の松本さんのような仲買いのダンナ衆を眺めていると、今ボクらの周囲を確実にそして大股に包囲しようとしているコンピューターの「デジタル型決済社会」と正反対の極に立ち、腕組みをしてにらんでいるような気がする。
彼らに代表されるように、人間と人間が呼吸ひとつに左右されアナログ的なソロバンで、値段を決め合った……そういう社会は本当に風前のともし火なんだろうか。
いや、違う。これからの本当にアップデートなコンピューター社会とはこうした人達にこそ、真っ先に手を貸し役に立つ、そう『コンピューターで柔らかいものを創る』といった新しい形へと開発が目指さねばならないのではないか、ボクはそう思うのだ。