「田口護の珈琲大全」(NHK出版)より |
いつでも、黙っていたって信頼してそこに【あるべきものが、あるべき姿でいてくれる】……こんな存在を見付けられたなら、
それを人生でも「至福の時」というのだろう。ボクはこと「コーヒーについて」はそれがあり、幸わせである。
そんな「肉親の情」のような確固としたものを、ここの供するコーヒーに限ってはボクはまるでフヌケ人間のように、全面的に頼り切っており、
おかげで毎日、コーヒーを呑む時間が「至福の時…」なっているのである。
ある時、商店街の海水浴帰り、観光バスに乗っていて、(荒川区)南千住で信号待ちをしたら、その高い窓の視線から
【バカにてきぱきと、キチンとした身なりの店員の動きが良い「喫茶店」が目に飛び込んできた】。
そこは【プロレタリアートの街山谷】。大阪なら釜ヶ崎、横浜なら寿町という通称「ドヤ街」の一角である。
いつも通る道なのにこの店に気付かなかった自分にむしろ驚いた。《視線の高さ》というものは意外な発見をするものだ。
ともあれ、ボクはそうした”店の立地”がとても気に入った。
ここの地にある必然をたしかめたくもありこの【バッハ】に舞い戻ったのがきっかけ。以降、通うようになったまま「現在」に至る。
やはりこの店は礼儀正しく折り目しっかり…していて、カウンターの内側では、オーダーを受けてから豆を挽き、
おもむろに紙フィルターを用意し、熱湯を注ぎ、淹れる。
そうしてその間に、コンビの一方は、「洗った」だけでなく柔らかい布で「拭いた」らしいグラスに適度な氷を入れて、
またこれが素直に”磨かれた味の水”で、それがテーブルに運ばれてきて《「本隊」の到着》を待つ。
ちょうど【茶道】というものの標榜が世に許されているならば、ここには《珈琲道》というものが確実にあった。
通うようになってほぼ30年にもなる。毎日朝の「日課のコーヒー」もここの豆を挽いていただく。
19歳の時のイチローが我が家を訪れた際も、「浅草ビューホテル」に迎えに行ったその足で、ここで豆を買いケーキを買って、
ウチの店先で一緒にバッハのコンプリートセットを愉しんだものだった。
仕事で知り合った方々に、自ら《コーヒー通》を名乗るムキがおられる。
ボクはバッハを知っている者としての矜持が勝手にあって、こうした”通”にお出しするのも悦びとしている。
だが、こうした方々に限って(あえて?)「おいしかった」との感想はどうもお義理程度にする習慣でもあるようだ。
ここのものほどボクはおいしいと思ってコーヒーを口にすることはない。
また、したこともない。
おそらくコーヒー党という人種は、《1人1党》みたいなものに自らを囲い込み、それまでずっと呑んできた味覚の「習慣性」によって、
舌の感覚が極度に排他的になってしまうのではないか……?との【前野理論(またかよ)】を立てるようになった。
いや、これでもボクにはめずらしく、「相手を尊重して」(?)いるようなのだ。
ということは、それだけ本能的にこの【バッハの味の前に敵を作らせたくない】という”自己防衛本能”なのだろう。
こんな高等な戦術をいつの間にか形成して実行してきているのだからボクもずいぶんと大人になったものである(笑)。
ボクも日本全国あらゆる《うまいコーヒー》は呑んできた。
”ぶっちゃけ”ここのコーヒーが一番うまいと云わなかったヤツなど「味のわからんヤツ」だと内心断じている。
『(気の毒なヤツだ、味もワカらないとは…)』そう心底憐れんでもいるので、心当たりのあるボクの友人知己
に於かれては心配なされたい(笑)。
そのうち、コーヒーについて気がついたことがあった。
それは《おいしいコーヒーづくりは【豆を棄てる】こと》なのである……という「絶対原則」だった。
「ハンドッピック」という作業が「味」を決める |
工事中
《販売自粛している?自販機》 缶コーヒーは、こうしたビベレッジ全体では「お茶」部門に次ぐシェアだというけど、そもそもアレは呑むほどなの?。 (この自販機は本文と無関係です) |
【バッハ】本店ph.3875-2669 http://www.bach-kaffee.co.jp/ 金休み |
まるで宣伝みたいだが、プロの《珈琲屋》目指すならこれはバイブルなるはずの本 |