【45年間食っていた】……それでも"最上"と云えた…ラーメン(醤油味・細麺系#1)がある。秋葉原《松楽》 (現在すでに消滅)
思い出を話していて、ふと気付くとそれが「20年前」の体験談を話していたので自分で勝手に強烈なショック
を受けた(笑)。
ひとりで突っ込んで自分でガッカリするようなもんだが、生まれて来て、ボクは同年代よ
りも確実に若いつもりでいただけに、生まれて初めて"知らぬ間の老い"を意識したものである。
20歳位の頃、ハワイ(の自宅)で明け方ベランダからUFOを見た。
なんだか分からないがその日以来メチャクチャ昔が懐かしくてたまらなくなったのは何故だろう。
どうやら、忘れていた子供の頃の記憶がリアルに思い出すことがでてしまうのだ、かなり不思議な後遺症である。
ためしに自分の記憶をたどり始めると、どんどんと「記憶データの存在」すら意識していなかった[幼児体験]までが、それこそ芋づる式に、根っこを手にして順々に引っ張り始めるにつれ、次々と地上に姿を顕すのだった。
そうしたら、「幼稚園時代直前…」あたりまでたどり着き、途切れた。
どうやらそこが自分の記憶の限界点なのだろう。 今は51歳にもなるけれど、父が味にうるさい人間だったせいか、赤ん坊同然の頃から通って(?)いた店があちこちにある。
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現在では建て代わり、味もとてもではないがお勧 めなどできるシロモノではなくなってしまった(泣) |
「オレここ、40年も通っている店なんだよ」
そう云える店があるなんて幸せなことである。
自我自賛ではない、それは未だ通うべき価値観を保っているからこそ…通うので、先代からの作法や、「"義"の律し方」等が継承され、それはまた、ある程度、物欲に対しストイックな部分がないと絶対に「40年間、同じ味」など提供できはしない。
秋葉原電気街(中央通りヤマギワ本店立脚・左斜め向かい)のラーメン屋『松楽』のラーメンはおいしい。
変換する漢字など見当たらぬおいしさ…といえる。
ところが、がっかりさせてしまうけれど、店主が高齢で、2004年の5月にすっかり中国人らに店をまかせ、いままでの味を棄ててしまい、引退をなさってしまった。
かたくななまでの「取材拒否」を通したまま……の意地にもボクは、いや常連の誰が惚れていた。
これは【日本IBMの公式HP】に載せていたボクのコラム”横ッ丁 ホフク前進”からの再録である。
これだけの味を惜しげもなくボクたちは失ってしまったことに後悔しながらご高覧戴きたい。
【名店】とはこうありたい
今までボクの人生で《醤油味で、細め麺》と限定した範囲(=好み)では#1、日本一である。
スープは何だろう……、といっても、ボクは達人たちの創った味を言葉で聴き、それを「拡声機で伝える」なんてヤボどは嫌いだ。また、彼らがすべてを全部語ってくれているもの……とメディアで報ずる(と思わされる)方もバカなことである。
安易にレサピー(レシピじゃねえぞ)に走り、CD録音みたく”欠点がない”だけが取りえ…という駆け出し職人が威張っていやがる昨今だが、この辺にまで「グルメ報道」が立ち入り過ぎた所産であろう。
この「松楽」に初めて連れて来られてもう43年になるのか…ずいぶん年をとったもんだ。
申し訳けないけど、比処もよくもまあ建て替えてもいないのに清潔を保ってきたものだ。
大きなお世話だろう。
ここの「家族構成」はというと…、まあそっちはいいか(笑〉。
《松楽》はいつでもこの電気街の”各店舗店員たちの制服”によって埋め尽くされてきたし現在もそうだ、40年前頃はたしか夜7時位に来た記憶があるのだが、今は11時〜17時しか開けていない。
かなり我がままな経営である。
大きなお世話だろう(笑)。
もしかして秋葉原の店員さん達には晩メシにラーメンを食うという習慣がないのだろうか。
ボクはある確信をしていた。
いかなるグルメ情報番組、記事には比処を始めとして、ボクの好きな店が何軒も何軒も登場してこなかった。
それはおそらく「取材拒否」しているに違いない…とフンでいたらどこも図星だった。
それほどまでにあのグルメブームは電波も活字も日本の隅々まで(下らん店まで)掘り尽くし、そして終わったつもりでいやがる、冗談じゃない。
「今まで通りのお得意さんに悪くってねえ、混むようになって迷惑かけたら申し訳ないじゃない」
松楽の客へのスタンスの実直さが、こうした言葉に如実に表れた《取材拒否》の名言と云えよう。
ボクはそうした番組等の【誘惑に負けなかった】職人や商人魂のしっかりした客商売を勝手に"回顧している"のであって「紹介記事」ではない。
だからこの《横ッ丁ホフク前進》は不親切な案内なのである。
そもそも、ボクは気難しい職人に媚び売って、さらにカネ払ってまで物を食わして貰うほど、渡っている世間は狭くない。
だがいつどうなっても、決してそこへ多くの客が押し寄せないで欲しい。という身勝手さが常につきまとう(笑)。
彼らはすでにそうした誘いは断って店の正しい形を保とうとするいわば《サンクチュアリ》。
逆境にもめげず取りまわしている…のが立派!なのだからくれぐれも"保存状態"を大切にして欲しいのだ。
まず、《松楽》のラーメンは虚飾に頼らない。きわめて基本的なラーメンである。
湘南のラーメン達人、佐野さんと共に系列となろう嗜好のジャンルに入るだろう。
細めのシナチク、すでに煮てダシを落した後の(あっさりし過ぎか?)焼き豚一枚。ネギわずか、そしてなぜかグリーンピースが青味を彩る。
テーブルに置く胡椒はホワイトペッパーのみ。
麺は真っ直ぐで長め。平たいが幅は狭い。適度なヌメリが麺の表面に乗っており、噛んで粉が軽い甘味を発し、粉の芳香が質の高さを誇るかのようだ。歯切れは柔らかくなく硬めに走らず。
ただ先のヌメリでここのラーメンの喉ごしの良さは滑るような快感を大切にしてある、これは愉しんで欲しい点だ。
あまり噛まない…で”呑み込む”という特殊な食い方を「わずか一箸分でもいい」から、お付き合いを願えるならあなたはボクと一緒に「松楽」の友である(笑)。
ならばスープはどうなのか、自分の舌に頼ると鶏ガラ主体で清酒、カツオ節、コンブ、砂糖少々…青ネギ?それにキャベツかな…この呑み終えた後、両方のほっぺた中央が思わず凹ませる…自然のまろやかな旨さ、あの収縮させてしまう吸引力がこの至福感…ね。キャイ〜ンである。
これがここの奥義なのだろう。
先述の麺が意外にもスープの抱きがよく、『サツッサツッ』と切断する手応え愉しみながらも食べられおいしいのは同じである。
ウチは高血圧家系なので、しばらくの間「塩分を目の敵(かたき)」にしてきた。
したがって、ラーメンスープは"敵"にとっては不足のないカナリの強敵なのである。
だが、ここの丼のフチに唇をモノのはずみで、付けてしまったら(当たり前だ)最期、とたんにボクの中の悪い
神様が『お前さ、「松楽」に来てるんじゃない?』と囁くので(ボクのせいじゃない)仕方がないからチョビっとだけ戴く…ジュルジュルっと、う〜んマンダム(古ッ)。
ボクの中の、善い神様が「ハイハイおいしかったね、サもうご馳走サマして…」と取り上げる。
当方、口腔に残ったうま味を転がす…。ヤッベエっすよ先輩、もっとくれって身体が求めてきちゃってしょうがないッスよ。
『いいんじゃない、今日の食事をカリウム重視で行けばいいんだから…』悪い神様もヒトが悪い。
もっともらしく「理論武装」して誘ってくる。
ボクのせいじゃない、ナルホド、この際そう云うなら(笑) ごくごく。
ああ、いいな〜悪魔の誘いは(笑)いつでも。
でもこのスープ、液体が口内に残っているうちにご飯を運んじゃったりしたらダメやんけ。
アララ、メシがあるよ誰?頼んじゃったのは?……そうかァきっと悪い神様が乗り移って
「すいません、ご飯下さい」なんて”イタコ状態”にしやがってボクの口を借りやがったな。
『マルィルゥン・モンドゥよ、あすィが、いっでぇよう(モリリン・モンローよ、足が痛い)』
って、恐山イタコがなぜか日本語しかも津軽弁で叫ぶのもフシギだが、ここにいつの間にか、メシ一杯が置かれていることもすんごいナゾだった(笑)。
すんごい葛藤!
麺はじめ、固形物の無くなったラーメンはものがなしい。ところが誰かと思ったらスープの塩味ちょっと吸ってるグリーンピース君じゃん。まだ底の方に沈んでたんだ。おおラッキー!。
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どうだまいったか!この「ソバの気持ち」 今はなき「チャーシューワンタンメンの大盛り」 |
おいしいなあご飯に乗せて上げるよ、恥ずかしくないよ。ボクだって初めてじゃないんだしィ。
”カネ”のレンゲで、ずずっと追加のスープを応援に入れるからね…ごはん君も…もぐもぐ、プハー。
まったくラーメンライスという物は旨いなあ。
イチローはホントに幸せなのかなあ?ペシャペシャ。メジャーなんかに行って…こんな旨いラーメンライス食えなかったらオレどうしよう。シアトルになんかこんなラーメン屋ないしなぁ。
それじゃ何の為に稼いでるんだか分んないじゃない。
ついでだけど【日清のチキンラーメン(くれぐれも「袋入り」ね。カップ型は別物)】で戴くラーメンライスも、【安易部門】では圧倒的に旨いけど、やっぱり比処のは"ボク的"には日本一だな。
良かったオレ、メジャー選手にならなくって(笑)。
ここの『ラーメンスープが付属する「チャーハン」』は電気街常連衆の人気メニューのひとつ。
ひょっとすると麺類の注文より多いかも知れぬというシェア率なのだ。おまけに彼らはそのチャーハンにタ
マゴを一個追加して、小鉢スープに入れてくれるよう、こう頼む。
『半熟チャーハンひとつね』
え?ナニそれ、メニューにないじゃん、おい。
これはなんと、そのタマゴの黄身を絶妙のタイミングで割り、そのヨークとスープ、チャーハンをレンゲでごろごろ混ぜてしゅるるッとすすり込むのであった。これはもう犯罪ね、旨くて…。
お〜いたまらんぞう、原稿書いているオレも。
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ああ堂々の(何が?じゃ) 半熟チャーハン |
あとね、《昔の味》ってあるじゃない、アイスクリームとかカレーとかコロッケとか流行りでしょ、ちょっとチープみたいな↓(バカ語尾調)。
ここのシューマイ(なぜか「餃子」を置かない主義)が、また旨いんだな〜。
「肉々してる」というのか、今は美味しい黒豚肉が安くなったけど、ああした肉がなくて水っぽいポークばかりだった頃にここのシューマイは昔の美味しい豚肉の味を提供し続けてくれたが、ちょっと今ではこいつは高いかな、という価格設定だとボクは思う。
きっと厨房内部がシューマイを個人的に愛しているのだろう。愛しすぎてちょっと周囲が見えなくなっているみたいな↓、カンジでぇ〜「価格の判断基準」が甘いのだろう。
シュウマイのジャンルの中では「崎陽軒型」だけど、味付けは浅草の「セキネ型」の系統(「肉の原価が違う…」と不満だろうが)に入り肉をこねる際にちょっと砂糖を加えているようだ。
小皿に三個しか出てこないし小さいから「ビール一本(中ビン)」ではローテーション間に合わなくて”投手不足”になっちゃうし、六個あったら多すぎて、なんだか完全に酔っ払いのジジイに見られてしまうのでこの編成は困る。
ボクはダイエットもしているが、ここに来たら"別バラ"と悪い神様が、「過半数をタテに」強硬採決しちゃう事がしきたりなので、頼むのは「《チャシューワンタンメンの大盛り》とご飯ね」これでいいのだ。
ええ〜い、気にするものか、カリウムなど後で摂ればいいのだ。
値段は気にした事がない。
がこれで1300円ほどだったんじゃないかなあ。これはグルメガイドじゃないんだからウルサイ事はなしよ。
で必ず、お店の方はボクのこの注文には『小皿に黄色の洋辛子を入れ』、シューマイのセットにありがちなツールを付属させてくれるのだ、いいだろ〜へへ〜ん。
これで当方、辛子醤油を作り乗っているチャシューを刺身のようにつけて食い、また大事なのはワンタンちゃんをこれで食す、レンゲに乗せて口に「るらるらッ」と滑り込ます、これがいいの。
ご飯がうまいうまい。バックバク…箸でカッカッカ「おかわり!」……なんだけど、拙者ダイエットしておる身(どこがじゃ)、ぐっとガマンなのだ。
それにしても文面読み返すと、とても50のオヤジの食い方のようではないのだけど。
まあいいか、老け込んでいるよりはね。
ところで別に聞きたくないだろうけど、この『辛子醤油+チャーシュー(やワンタン)』を組み合わせ食す「前野理論(と呼ぶ)」はどこから会得したかというと、これがハワイなんだなあ。それも外人から!?なのである。
ご存知だろうか現地にはサイミン(中国表記=細麺)というラーメンの代用みたいなものがある。
ボクの居た頃の75年”以前”のハワイは、今とは隔世の感、ほとんどラーメンはゼロだった(大龍=73年進出・えぞ菊=74年・他はゼロだった)なのである正しい「ハワイ史」。
そこでボクら日本人は仕方なくこのパンチのない薄味スープ(海老殻ベース)を"ベター・ザンナスィング"と、黙って喰っていたのだった。
ところが、箸もロクに持てず”レンゲに麺を入れ”て、すすり込まざるを得ないガイジンさんたちの食い方はナンなんだ!。
給仕に洋辛子入り小皿もって来させ、先の「辛子醤油」である。
それを手に持ち麺をつけ汁のようにズルズルっとか、それごとドバーッと、サイミンの表面に流し入れて【辛子醤油味サイミン】にしてしまうのである。
これは彼らの西洋人用食生活のスープというと、どれも味のボディがしっかりしており、ブイヤベースでもトポフでも、これだけ(塩分=お澄まし以下)の薄味はまず無い。
だから彼らは迷わずサイミンに「塩味系」を追加してしまえる…「無知ならではの蛮行」なのであった。
(情けないけど)ボクも試しに真似してやってみるとなるほどこりゃ(コレなりに)イケる。
特にチャシューが別の一品頼んで「アップグレードしたように」、味がどこか格上げになった…みたいな↓(笑)。
この「制度」はいい。
帰国後もずっとボクは二度くらい足運んだ店では必ず洋辛子をお願いしている…のだが、メニューによって「ある店」&「ない季節(冷やし中華アバイラブル時季ならOKね)」、など…遠慮強いられる場合もあるので、いくら美味しいからと、あまり”我がままを云わない”こと…。
お金払って外へ出る…とこの街にはもう一つ確実な「日本一」がある。
わざわざヒトの歩く先を足を止めさせても横切って進む者。
前を見て歩いていながら選んだ道を譲り合おうとせぬ、いや《ぶつかってくる》者、エレベータドア閉まり人が挟まれても意に介さぬ者。
電気街のすれ違えぬ店内で「ディパック背中に背負い」、通路を遮断しながら品選びを平気の平左で優先できる者…と、歩いていてこれほど常識知らずにムカッとくる確率の高い街は他にない。
それからもう一つ、《松楽》はやはり高血圧や腎臓に難のある方には奨められない。
なぜならここのスープをわずかでも器に残して出てきた場合、それを残してきた事を必ずやあなたのお口が『どうして最後まで飲み干さぬ』と強い追求が襲う……という災難にからだ。
『(ドンブリの底にまだスープが残っていたのに…。)』
思わず口の中で、舌が残った旨みを探ると、これ大問題、必ず『何が残っていたか』がテーマとなって、帰りの電車の中などでひとり悩むハメになるのである(トホホ)。
ただでさえ歩きにくい街なのに、もうボクはそんな後悔と闘いながら歩くのにもうほとほと疲れたのだ。
血圧がなんだ、腎臓なんぞクソ食らえ、スープは残すな…「40年ごしの先輩」の忠告は聴き置いた方がいい。